株式会社昭栄美術は2024年6月に浦安市、8月には市川市と『災害時における保有機材の提供に関する協定書』を締結しました。この協定締結により、大規模な地震や台風をはじめとする激甚災害が発生した際、各所に設置される避難所でシステムパネルをはじめとする保有資材を活用することで、創業の地である浦安市、本拠地ベイスタジオを構える市川市への地域貢献が可能になります。今回の協定締結を担当した経営管理部・総務課の久守直紀さんに協定の内容や経緯について話を聞きました。
自衛官としての経験から、災害支援締結へ
―今回、浦安市・市川市と協定を締結することになった経緯について教えてください。
40年以上勤めた自衛隊を定年退職して今年1月に昭栄美術に入社し、まず本社とベイスタジオの『危機管理計画及び事業継続計画(BCP)』を整備するという業務にあたりました。その計画を進めるために色々調べていくと、各市町村が多くの企業と災害支援に関する協定を結んでいることがわかって、例えばコンビニエンスストアやホームセンターは食品や日用品を被災者に対して提供する。じゃあ、昭栄美術は何ができるだろうと考えると、自衛官時代に災害派遣として各地の避難所に行ったときの記憶と結びついて、ベイスタジオにあれだけの在庫があるシステムパネルを避難所で活用できたらすごいだろうな、と思いつきました。会長に趣旨を説明したらその場ですぐにOKが出て、協定締結に向けて動き出したというのが始まりです。
―締結した協定の内容を教えてください。
基本的に、国が大規模災害と発令して自治体側から支援要請があった際に、当社が部材を避難所に運搬して、あらかじめ図面化しているパターンからその場所に応じて設営することになります。高さ2.7mのシステムパネルで仕切られた部屋をつくるのを念頭には置いていますが、契約書内では保有機材“(等)”としているので、レンタル課で保有している様々な備品を活用することも可能だと思います。例えば、キッズクッションで子供が遊べる場所をつくるというようなことも現地の状況と要望に応じて柔軟に対応できれば良いですね。
避難所の劣悪な環境に何ができるか
―前職での災害支援について。
熊本地震や西日本豪雨など比較的近年の災害で訪れた際も、やはりどこの避難所もすごく劣悪な環境で、その辺にあるダンボールや家から持ち寄ったバッグをパーテーション代わりにしているような、避難している人のプライバシーなんて皆無な状態でした。最近になって避難所での使用を想定した段ボールのベッドなどの商材も出てきましたけど、自分が自衛官としてこれまでに見てきた避難所は本当に厳しい環境でした。
強く印象に残っている災害はやはり2011年の東日本大震災で、岩手県の宮古に派遣されましたが、津波が来たところは平地部は一帯が本当に何もなくなっていて、リアス式海岸部では海岸から崖の間に並んでいたはずの9軒の家屋が、度重なる津波により崖下に1か所にペシャンコになって重なっているという、それはもう凄惨な光景で、忘れることはできないですね。
「大志」に導かれて。入社の決め手
―昭栄美術に入社した経緯と現在の業務について教えてください。
自衛隊は定年が早くて、防衛産業や防災担当として自治体に再就職するという選択肢もあったのですが、40年以上自衛官として働いてきて、ちょっと今までと関係がないところで仕事がしたいなという想いがあって。あとはやはり会社として調子が良いところが良いなと考えていたときに、退職した自衛官に再就職を斡旋する自衛隊援護協会という組織から昭栄美術への入社の話をいただきました。
防災に関する仕事はこれから“起きるかもしれない”事態に対処することで、何も起こらなければそれに越したことはない。みんな、目の前の仕事で忙しくてなかなかそこに手が回らないんですよね。BCPにしても元々管理部で作成していたたたき台が施行まで手が回っていなくて、それをもとに計画を進めていきました。本社、ベイスタジオ、大阪に続き、今は佐倉スタジオのものを作成しています。他には、ベイスタジオは高潮への対策が必要で、17か所ある出入り口に防水柵を取り付ける工事を担当しました。大阪スタジオには、ボックスウォールという止水板を設置しています。あとは、各拠点の防災グッズの整備や、各製作スタジオのパートさん募集も担当しています。
―入社の決め手。
昭栄美術への再就職の話が出た頃、職場が千葉の四街道にありました。自宅がある東村山市から車で通勤している途中にベイスタジオの前を通るときに、「この会社か」なんてなんとなく見ていると、入口上の大きな懸垂幕に「大志」とあるのが目に入ってきて、それ、私の息子の名前と一緒なんですよ(笑)。
あとは、昭栄美術が主戦場としている展示会の業界にはこれまであまり縁がなかったんですが、私キャンピングカーが好きで、ちょうど「ジャパンキャンピングカーショー」という展示会に遊びに幕張メッセに行っているタイミングで「昭栄美術、どうですか?」という確認の電話が自衛隊援護協会からありまして、「あ、これはもう行った方が良いんだな」と思って入社を決めました。
昭栄美術が地元にできること、それが災害支援だった
―最後に今後の抱負を教えてください。
防衛や防災とは関係のない仕事がしたいと思って昭栄美術に入社しましたが、「自分に何ができるか」ということを考えた結果生まれたのが、今回の協定締結でした。昭栄美術はまだまだ成長中の会社で日々色々な課題が生まれていますので、これまでの経験も活かしつつ色々なことにチャレンジしていければと思います。